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韓日友好と高齢者の役割

  「故郷の家・東京」の着工を記念して           李 仁浩(イ・インホ) 韓国KBS理事長

李仁浩KBS理事長
李仁浩 韓国KBS理事長
  「故郷の家・東京」の着工式に出席し、皆様の前に立つ機会を頂いたことは、身に余る栄光であり、喜びです。私をお招きくださった「こころの家族」の尹基理事長及び関係者の方々に深く感謝申し上げます。
 10年前、私は既に故人となられた「玄界灘は語らず」の作者である韓雲史先生の案内で、堺市の「故郷の家」を訪問し、尹基先生ご夫妻に初めてお会いしました。
 その時、そこで受けた印象があまりにも感動的で、2009年に「故郷の家・京都」がオープンするときも出席をさせて頂きました。

 京都の施設の開所式に参加させて頂き、私が得たのは、もう一つの優れた施設が生まれるという喜びだけではありませんでした。感動をはるかに超え、知的、道徳的な衝撃を受けました。
 「故郷の家」を支援しておられた方々はもちろん、京都市民の方々が真剣に働いている姿をみて、私はそれまで知らなかった日本社会の美しく、品格のある真の姿を発見しました。同時に、韓国の知識人であると自負してきた私が、すぐ隣の日本について、さほど知識を持ち合わず、表面的にしか知らなかったかを悟り、衝撃と恥ずかしさを感じざるを得ませんでした。

 小学校2年生の時、私をとても可愛がってくれた日本人担任、須野田(すのだ)先生が、韓国が独立をした直後に、韓国の堤川(ジェチョン)にあった日本人収容所の庭でご飯を炊いていた姿を目にし、戸惑ったことがありましたが、その記憶が久しぶりに蘇りました。

 私は年齢だけ見れば、既に「故郷の家」に入る資格を持った高齢者で、解放第1世代(韓国が独立をした時に教育を受けた世代)に属する人間です。植民地時代の恨みが蔓延する雰囲気の中で徹底した反日教育を受け、小中学校に通いました。
 今年、102歳になる私の母は、2002年、大邱で日露のサッカー試合が開かれると「日露戦争が再開されるんだな」と言いながら乃木大将の勝利を賛美する言葉をしゃべり、私たちを驚かせましたことがありました。私たち世代も「行け 行け 軍艦 日本の海…」という軍歌だけでなく、「おててつないで野道を行けば」のような美しい童謡も歌うことを禁じられ、その代りに西洋の歌を学びました。
 大人になっても、アメリカに行く際に羽田空港を経由するとき、韓国人がよく経験した、少しは侮蔑的な処遇も反日教育を徹底して植え付けられた対日偏見を広げるのに大きく影響したと思います。
 1945年8月15日以降、数十年の間、韓国の教育と研究から、日本は空白地帯のまま放置されており、私自身も子どもの頃には、上手だった日本語をほとんど意図的に記憶から消してしまうという、感情的に反発する時期が続きました。

 そうした経験があったからこそ、私には「故郷の家」の建設を支援するために集まった日本の篤志家の方々との出会いは、特別な意味がありました。国際会議場で会う専門家の仲間たちとの関係とは別の次元の、強力な人間的な連帯感と、新たな希望を発見したという大きな喜びを感じさせました。
 死を目前にしては、人は誰しも自分に慣れ親しんだ環境を懐かしみ、キムチや梅干しが食べたくなるというのは日本人でも韓国人でも、さほど変わりません。
 この世での生を終える準備をしている人には、温かい手と心を感じながら生涯を終えることができるようにさせてあげることが、人としての道であると実践されているのが「故郷の家」であると、知ったからです。
 それは国籍や民族、言語や宗教の違いを超え、人間として共通する心を守ろうとする力が、現実的な障害があるにもかかわらず、まだ生きており、私たちが住んでいるこの世界を、人が人らしく生きることができる場所として育て、保つことができることを確認する証拠でもありました。

 しかし、冷静な目で周りを見渡すと、私たちが直面する韓日関係の政治的な現実は、決して楽観を許さない状況だと思います。
 植民地・被植民地の不幸な関係が終息されて20年が経って、やっと日韓国交正常化が実現し、その後、何度も世代交代をする間、朴正煕大統領、金大中大統領、村山首相など、より広く長い目で両国関係を友好協力関係に発展させようとした賢明な指導者の努力のおかげで、両国民を切り裂いていた感情と偏見はかなり解消されたように思われました。
 今日の若い世代は、世界のどこででも自国の旧世代より外国の同世代とより強い文化的絆を形成し、より多くの悩みや価値観を共有する姿を見せることもしばしばあります。
 それだけでなく、ほぼ生涯を抗日独立闘争に捧げ、大韓民国の初代大統領になった李承晩博士も、独立運動の目的は、韓国人も日本人と同様に独立国家の国民として生きる権利があることを認めてもらうことであって、決して日本に害を加えることにあるのではないことを強調 しました。

 しかし、残念ながら、ここ数年間の日韓両国間の政治・外交関係は急激に悪化し、過去の仲の悪かった時代に後退する危険な兆しが現れています。
 歴史や領土問題のどちらからも強硬路線に固執する日本の現政権の動きに同調する嫌韓デモまで起こっています。さらに韓国側もそれに対して非友好的に対抗しており、長い歳月を経て慎重に整えてきた友好関係を、まさに今、根こそぎ掘り起こしています。
 そのことは、政治だけでなく、道徳と文化の退化をも意味するもので、日韓両国だけではなく、全世界の関心のある人々の懸念の対象となっています。
 このような時期に、人生の経験は豊富ではあるが、実質的な体力は弱い高齢者にできることは何でしょうか。
両国間の関係をより大きな枠組みと長い目で見るように世論を喚起させることです。お互いに向けた、不当な敵意や不必要な誤解が払拭できるよう手伝うことが急務だと思います。
 同時に「故郷の家」建設などの実践的行動を通して、どんな小さなことでも、そのことが醸し出す人道主義的な波及効果と参加者自身が得られる精神的充足感がいかに重要かを感じる機会を作ってあげることが、友好増進のための近道と考えています。

 韓日関係がここ数年の間に急激に悪化したのは、ある特定の政治家たちの誤った判断や野心から引き起こされたとの指摘もあります。
 しかし、より広く長い歴史的な見地からすると、韓国と日本を含むすべての国の間、集団間の葛藤は、結局、人類社会全体において自然や社会環境などあらゆる分野に波及しかねないという事実を見落としてはなりません。

 人類が今日、享受している平和と繁栄は、歴史上前例がなく、今後も歴史の発展は続くと主張する人がいます。しかし、それとは逆に人類社会の発展が持続可能かについて疑問を提起する声も少なくありません。
 科学技術文明の力に目覚めた人間は、自然の前で謙虚であることを忘れ、宇宙征服の旅に出ました。また仮想の(サイバー)空間を創出することで、自然の限界から逃れられると考える人もいます。
 しかし、人間が創りだした文明の利器は、その生産力に劣らないほど巨大な破壊力をも持っていることが明らかになっています。
 人間の創造物が、自然の威力と破壊的な側面に出くわしたとき、どれだけの災害に見舞われるのかについて、我々は福島原発事故で経験しています。環境破壊が深刻な問題になる中で、社会的葛藤と競争の激化は、現在希少価値のある資源を確保するために熾烈な国家間の競争を引き起こし、また隣接した民族間に起こっている相互抹殺戦争、脅迫、サイバー戦争、IS (イスラム国)のような凶悪な形で現れています。国際テロ組織による青年たちの誘引に至るまで、実に多様かつ驚異的な形で起こっています。
 惨憺たる生活を送り、貧しく、無知であるのに、情報化やグローバル化のせいで、豊かな世界の情報や大量破壊兵器へのアクセスが可能な人々が、富裕層を狙ったテロ組織を作ることは言うまでもないですが、日本、韓国、米国などの先進社会でも不特定多数を狙った猟奇的な犯罪が頻繁に起こっています。

 人類社会全体が感じる圧迫感は加重される一方、建設的な進歩は用意されておらず、火種さえあれば、すぐにでも爆発しかねない大小のリスクが社会全体に広がっています。全世界的な危機から派生する圧力を、韓日両国民が近い隣人に対する欲望や敵対心として噴出しようとするならば、こんな愚かなことはありません。

 人間が自然の脅威や隣人の暴力に対抗し、平和に暮らせることができる空間を確保する過程で考案した方法が、民族あるいは国家への結束です。宗教や理念も生き残るための重要な補助手段として発達しました。
 国家を作れなかった民族は、他の集団に踏みつぶされる悲しみを経験することが当たり前のようになってしまいました。
 しかし、国家、民族、理念、宗教、どれをとっても人間の生命と尊厳を確保するための手段であって、人間が犠牲を冒してでも守るべき絶対的な価値になることはあり得ません。偶像化された理念がどのような結果を生むのかについては、ロシア革命の失敗やナチスドイツの恐ろしい罪科が物語っています。

 21世紀に入り、人類が直面している新たな挑戦のほとんどは、国家を単位にして対処するには困難なことが多いので、様々な新しい形態の超国家または準国家など新しい形で力の結束が行われています。歴史的に宿敵であったドイツとフランスが欧州連合に結束されたことや、ISのような過激的なイスラムテロ集団の出現、国際的なネットワークを持つ様々な非政府組織(NGOまたはNPO)の氾濫がその証拠です。

 いまだに主権国家中心のトラブル・シューティング・フォームが主流をなしているのはもちろんですが、もはやそのような物理力の中心(hardware)のアクセスだけでは、人が人らしく生きることができる世界を作り、保全することが益々不可能になることは間違いありません。特殊集団や政治、権力によるアプローチは、一人一人の人間の意識を中心に置くミクロ、または道徳、文化を主体にした解決方法で補完されない場合は、強い逆風として跳ね返ってくることを、このところ頻繁に起こる国際テロ事件から見ることができます。

 日韓間の関係を考えると、両国が民族や言語が異なる隣人として生きてきて、その関係が時には平和友好であり、時には敵対的だったのは、ごく自然なことでした。世界の軍事力の一つの軸であった中国の勢力が揺れ、両国の運命も歴史的な転機をむかえた西欧式近代化に一歩先に立った日本は、近代化とアイデンティティの間で右往左往していた韓国を植民地化することに成功したのです。

 韓国の国権はく奪が韓国人の意に反して行われたことは、軍慰安婦動員の問題や同様に合法性云々で議論される次元ではなく、道徳的な次元で認めなければならない問題です。これは、当事者である韓国人の情緒と意識そして人間的、社会的差別と圧迫に関連した問題であり、両国間の不幸な関係は、太平洋戦争で日本が無条件降伏することにより、初めて終息することができました。
 「大東亜共栄圏」は、日本の野望でしたが、韓国人が念頭に置いた東洋平和論とは程遠いものでした。

 過去のこれらの反芻が今必要なのは、お互いの考え方や感情、国民の持つ潜在意識に対する深い理解がなければ、健全な両国関係の確立は不可能だからです。
 そして高齢者が両国間の友好に最も大きく貢献をすることは、正確な記憶の再生を介した過去の亡霊を追いやることです。

 韓国ではいまだに、いわゆる親日清算が不十分ではないという問題が敏感な政治的争点に浮上したりします。おそらくそれに相応することが、日本では太平洋戦争での敗北が与えた衝撃と喪失感の後遺症として新帝国主義の意識が蘇ってきているのではないかと思います。
 実際に自国の利益を中心に、朝鮮を植民地支配したという点で、「力は正義だ」という等式が通用された当時の国際社会で日本だけが例外ではありませんでした。また、帝国の国益を管理する次元で推進された近代化が、今後の独立国家としての韓国の建設にある程度、役に立ったという事実も否定することはできません。
 しかし、日本の植民地になっていなければ、韓国が近代化を成し遂げなかったはずだとか、植民地の近代化政策や従軍慰安婦を動員したことにより韓国が被害を蒙ったことはないと言うなら、それは全く間違っており、まるで誤ってパンドラの箱を開けるように、両 国の関係を取り返しのつかない破局に追い込むこともあるでしょう。

 友好関係のために最も重要なこと、歴史的な葛藤が激しかったのは、お互いが背を向けられないほど近い隣国だからであったことを想起し、お互いの過ちを認めて、許すことではないかと思います。
 不適切な関係で失うものは大きいけれど、緊密な連携から得られる利点も大きいことが、隣人同士で生きていく運命となった韓日両国の関係であることを悟らなければならないという話です。
 伝統的に敵対関係だったフランスとドイツが欧州連合を作りあげたのに、両国よりもはるかに大きくて、より異質的で強大な隣人との競争と北朝鮮の核という共通の脅威の前に立っている韓国と日本が、過去の問題や領土的な野心に捕らわれて協調と協力の可能性を逃すならば、その愚かさが生む結果に対する責任はいったい誰が負うのでしょうか。
 国家という枠組みよりも、その中で生きる一人一人の人間の生活と道徳的な威信をさらに大切にする人には、日韓の友好協力はもやは選択の問題ではなく、お互いのアイデンティティを守るための必須条件だと思います。
 高齢者が韓日友好のためにすることができ、やるべきことが何かを話しながら、最後に、最も重要な申し上げたいことがあります。それは私達が今住んでいる世界は、わずか20年前の世界と非常に異なる世界であり、人間と社会問題に対する国家中心のマクロ的なアプローチに落とし穴があることを認めなければならないということです。
 議会制民主主義体制の下で、有権者の票を意識しなければならない政治家は、人間の自由や尊厳のような価値の問題を探るより、迅速かつ可視化できる経済効果や政治的扇動にこだわるようになり、残念ながら、これは全世界的に深刻化している現象です。
 人間が持つ潜在的な本能の中で道徳的に高邁し、理性的な性向を喚起するよりは、貪欲、怒り、不安、恐怖などの低俗な本能に訴えることが政治的な効果の面では有利な場合が多いのでその誘惑に簡単に陥るのです。そのような場合、政治は和解よりも葛藤をあおる方向に流れ、人々は感情的に益々疲弊しているのです。
 韓日両国のどちらの国民も、そのような誘惑に陥るのを防ぐように努力することこそ、高齢者に課せられた義務であり特典ではないでしょうか。

 最近、韓国を訪問したノーベル平和賞受賞者である前フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリ氏は、ノーベル賞受賞所感で「解決できない紛争はこの世にはありません。解決するという意志がないだけです」という有名な言葉を残しました。
 現在の韓日両国間の関係は友好的だと言うことはできませんが、目先の政治的利害関係は置いて、人間らしく生きていく世界を作るという人類共通の理想を中心に据えて見れば、日本人と韓国人がお互いに助け合って平和に共生できない客観的な理由は何一つありません。
 激しい反日的な雰囲気にもかかわらず、夫も行方不明になった韓国に残り、朝鮮戦争を経験しながら共生園を守ったことで、やがて、すべての人々を感服させ、韓国政府からも勲章を受け、今日の「故郷の家・東京」にまでその美しい人道主義に立脚した事業伝統を引き継がせた田内千鶴子・尹鶴子女史の行いから、私たち高齢者も意志と勇気を出せば日韓友好に貢献できない理由はないことを学べます。

高齢者は賢い集団

 韓国や日本のように高齢化の問題が非常に深刻な国ほど高齢者は、問題を解決するよりも、問題を生み出す集団として扱われることが多い。しかし、高齢者は、物理的な力は弱いとはいえども、「人間は民族、言語、宗教の違いや老若男女を問わずすべて尊敬されるべき存在である」ことを知っている賢い集団です。
 奇妙な狂気に捕らわれて葛藤の要因を減らすより煽っているような今日の両国の社会の雰囲気を、高齢者がお互いを深く理解し、助ける雰囲気に変えるために先頭に立てるならば、高齢者は社会的負担ではなく、資産であることを若い世代に知らしめる良い契機になるのではないかという、私の希望を込めたお話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

(2015年3月17日に行われた故郷の家・東京着工記念講演から)


 李 仁浩 (イ・インホ)  李仁浩KBS理事長

 韓国KBS理事長。ソウル大学名誉教授。ソウル大学文理学部史学科を卒業し、米ハーバード大学で歴史学を専攻して文学博士を取得した。高麗大学史学科教授などを務めたほか、金泳三(キム・ヨンサム)政府で女性として初めて駐フィンランド大使を務め、金大 中(キム・デジュン)政府では駐ロシア大使に任命された。 金大中政府に続き盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府でも、国際交流財団理事長を務めた。。